新疆ウイグル自治区最古の村はひっそりと存在していた。
ウイグルの伝統的な家庭料理
時間はもう13:30過ぎ。意外と2時間弱も山登りなどに興じていたらしい。いい加減おなかが減りました。
次の目的地は吐峪溝(という村)。ここを訪れるにあたり、前日の英語が話せる運転手さんから「お昼は伝統的な家屋で家庭料理が30元(≒500円)で食べれるがどうか?」と言われており、二つ返事で食べることになっていたのですが、どうやらやっと食べれるようです。
吐峪溝へようこそと書いてあります。
こんなふうに静かな村の入り口
ここでお昼を頂く。実は昨日の運転手さんの実家らしい。
ゆったりと時が流れます。
サラダとポロ(ウイグル風炊き込みご飯)ポロはフツ―ニンジンがいっぱい入っているんだけど、黄色いのは多分果物。左はバラ茶
そしてラグマン😋お替りしました(笑)具はパプリカとインゲンと玉ねぎ。
ハミ瓜もあり
実はこの時初めてハミ瓜を食べました。メロンと味というか甘みはあまり変わらないけど、もうちょっとシャリシャリしている感じ。
お店の奥。羊と鶏が飼われている。
トイレ。なかなか厳しいw
おなか一杯になったので、ではこの村(吐峪溝)をぶらぶらします。
吐峪溝とは
正しい名前は吐峪溝麻扎村、およそ200世帯、1000人余りが暮らす小さな村で、なんと1700年余の歴史があり、新疆に現存する最も古いウイグル族の村。※“麻扎”とはイスラム教のお墓のこと
2000年近くの間黄色い粘土を使って家屋を建築する技術と伝統を受け継いできた、なんと中国で最も完璧に保存されている土製建造物群とのこと。後日トリップアドバイザーでの口コミを見てみたら、ここを訪れて、イエメンの民家を連想したという人がいました。そうそう、言われてみればドバイの歴史地区ともなんとなく雰囲気似ているかも。
中国におけるイスラム教の重要な聖地らしく、「中国のメッカ」と呼ばれている。大昔、宣教師が中国にイスラム教を伝えた際に、ここの羊飼いが初の中国人信仰者となり、宣教師はこの地に住みついて広く説教を行った。やがて亡くなったあと、この地の洞穴に埋葬されたのだとのこと。中国のムスリムは本家のメッカに行く前にまずはここに巡礼に来る、20世紀初頭にはなんとインドやトルコのムスリムもここへ巡礼に多数訪れているとのこと。(訪問したとき、事前に全くノーチェックだったので後で調べた情報ですが)
そんなこととは全く知らずにぶらぶらするわけですが、
不思議な村、吐峪溝
これが中国?と思うような不思議な佇まい
最古の土で作ったお家というような案内が出ています。
村の入り口。ドライフルーツのハミ瓜を作っているところ。
村に流れ込む川。これも水源はカレーズ?
民家の中。家電製品が無かったら本当に何時代のどの国だよ?という趣き
すごく不思議なんですが、、、、、誰もいないんです。
台所ですね。実はこの村、ちょっと角を曲がったり、階段を上がったりすると意図せずともすぐに人の家の一画に通じるような作りになっています。あれ?と思って一応、すみませ~ん!的に声をかけて入っているんですが、まったく応答がないんです。だからみんな異口同音に“不思議なところだね?”というのが率直な感想。
でも本当に家の敷地に入っても住民に咎められることもなく。
取られるようなものもなさそうですが、泥棒が入っても気づかないのでは?
まったく人がいないわけではないのですが、極めて少ない(因みにこの日は日曜日)
まぁわけのわからない外国人相手に商売しようという人もいないでしょうし、、、
この村独特の格子窓
さっきのドライフルーツのところに人がいるには居ましたが、我々に対して商売しようという感じでもなく、ここも商品放置したままで、その周りで子供が遊んでいるという。
子供と言えば、この子たち以外のもうちょっと小さな子供たちは一軒の家のテレビのある部屋にいてというか集められて、無聊にテレビを見ていた。何故かその部屋は通り沿いで我々のような観光客からは丸見えで、だけどこちらの視線を意に介することもなく、、という意味不明。そこで子供たちががそうしている意図がわからず、さすがに写真を撮る気にはなりませんでしたが。
遠目にもそれとわかる、モスク
モスクの裏手から中を覗いたところ。
閉鎖されてはいないんでしょうが、かなり寂れた感じです。
ここにも千仏洞があるんですが、残念なことに途中の道路の補修工事かなにかで閉鎖されています。
割と高い所からの景色
なにげに捨ててあった教科書類。廃墟じゃないんですがなんとなく物悲しい
国慶節の大型連休あととはいえ、日曜日なのに観光客は我々5人だけ。人大杉の中国でこんなひっそりした村があるというのが驚き、でも一応ここはちなみにこの村は中華人民共和国全国重点文物保護単位(国家級の文化遺産)という扱いで、入場料が30元かかります。
最近の中国の風潮として、古いものを壊して(昔からそうとも言えなくないが、、)体裁よく手を加えてアミューズメントパーク化するのが主流なのですが、その中でもこういうふうにそのままの形で保存するというのは極めて異例、奇跡的かと思います。
市中のウイグル居住区は結構な割合で区画整理などが行われていました。他方、ここがこうやって保護されているのは、個人的な考えですが、ここにそのまま住み続ける代わりに個人ですら文化財の一部であるかのように私生活を晒さざるを得ないということなのかな?等など。色々考えさせられました。
行く前にここについては全く事前学習していなかったので、麻扎村をほっつき歩いて終わりでしたが、千仏洞は見れなかったとしてもホージャ墓(というお墓?)という見どころもあったらしい。今思い返すと、とても不思議な場所で、たとえるならまるで夢の中の出来事だったの?と思うような村でした。