天津で絶対に見たい!と思っていた静園に行ってきました。
ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀という人
昔、今から30年くらい前に『ラストエンペラー』という今の40代以上の人ならなんとなく知っている(と思う)映画があって、私はそのころその映画にはまってしまい、浅田次郎の蒼穹の昴を読んだり、清朝後期から後の時代に興味を持つようになったのです。それでもちろん北京には行ったし、その際溥儀の正妻の婉容の実家(東城区の南鑼鼓巷にあります)というところも見てきたりしたのですが、今回やっと北京退去後の溥儀の足跡を辿ることが出来ました。
溥儀とは中国最初の皇帝である始皇帝に対して中国最後の皇帝であり“ラストエンペラー”として知られます。
中華圏最後の皇帝であり、幼帝として2歳で清朝皇帝に即位し、元号から宣統帝と称される。辛亥革命後は遜清皇室小朝廷として大清皇帝の尊号で保護されるも張勲復辟事件で復位して12日間で再び退位。
その後は紫禁城に住むことを許されるものの、北京政変で紫禁城を追われてしまう。さらに当初庇護を受けようとしたイギリスやオランダ公館に庇護を拒否されてしまい、天津の日本租界で日本公館の庇護を受けた。
これ以降の縁で、満州事変以降関東軍の主導で建国された満洲国の執政に就任、満州国軍大元帥や満州国協和会名誉総裁などを兼任し、帝政移行後の大満洲帝国で皇帝に即位した。満州国皇帝としては元号から康徳帝と称されることもある。太平洋戦争(大東亜戦争)における日本の敗戦と、ソビエト連邦軍の侵略を受けた満州帝国の崩壊とともに退位した。
ソ連赤軍の捕虜となって中華人民共和国に引き渡され、1959年の撫順戦犯管理所からの釈放後の1960年には中国共産党の方針により北京植物園に勤務したが、すぐに政協文史研究委員会専門委員に就任した。さらに晩年の1964年には、満州族の代表として政協全国委員に選出され、北京で生涯を終えた。wikipediaより引用
騒がしい静園
ということで、天津で日本政府の庇護のもと暮らしていたのが張園と静園。うち、張園に関しては、現在政府機関の管轄なので一般公開されていませんが、静園の方は内部を観覧することが出来ます。
鞍山道と甘粛路の角にあります。何人か入場を待って並んでいるのが見えます
個人的にすごく価値があると思うんですが、中国人民にとっては3A(最高は5A、因みについぞ行かなかった武漢の黄鶴楼は5A💦)の価値しかないらしい。
料金についても張学良の故居よりも安いです(笑)
入場料 20元≒340円
日本語ガイドレシーバー 20元≒340円(借りるとき更に100元デポジットが要ります)
前景。広くもなく狭くもなくといったところ。
溥儀と婉容の悲しい結末を知っているだけに、こういうのはなんだか胸が痛い😢
溥儀ご愛用の品々
この天井は修復せず当時のままらしい。
溥儀の筆による扁額
これは確か溥儀が関東軍の人などと会合をするときに使った部屋。張園にいたころはまだ静かな隠棲生活を送っていたらしいのですが、ここへ来てからは満州国の皇帝として担ぎ上げる動きが着々と進められ身辺が俄かに騒がしくなったのだと。ガイドレシーバー曰く“騒がしい静園”と(笑)
ここは家出して離婚した文繍の部屋。
この離婚については中国初の女性から申し出の離婚だったとのこと。
過去、この建物は不法にその辺の人に占拠されていて荒れ放題だったらしい。
如何に復元したかをビフォアフターで示してあるのが至る所に(笑)
これが溥儀の寝室
復元されたものですが、やはり他の部屋と比べて大きくて風格があります。
中国語がわからないのでですが、こんなふうに二人がキャラクタライズされており、このデザインの人形のお土産などもありました。
敷地内に多分歴史に疎い人向けにちょっとした溥儀の人生について紹介するコーナーがあり、このように日本語でも書かれています。
悲劇の皇后婉容。個人的に正直ぞっとするほどの美人さんだと思います。
彼女について歴史家の解釈はそれぞれ違いますが、私は彼女のプライドの高さと溥儀への一方通行的な愛情が、やがてアヘンにおぼれて自分の身を滅ぼしたのかなあと思います。本当にかわいそうな女性です😢
こちらは張園。軍人さんは無料で入れるらしい。老人や子供以外に中国はこういった軍人さんにも手厚い。
中を覗いていたら警備の人に怒られる(笑)
またしても無難にラグマン(新疆拌面)を食べる
お昼時。このお店よほど美味しいのかすごい行列
宿に荷物を取りに行く前にちょっと遅いお昼ご飯を食べます。
またしても無難にラグマンを食べたいと思います(笑)
具はエリンギ、ピーマン、きくらげ、玉ねぎ、羊肉等。ニンニクが効いてて結構辛い。
でももちろん美味しい。18元≒300円
やはりこの安定度はかけがえない(笑)
お店の外観。やはりこういった沿岸部や大都市では
蘭州面のお店≒ウイグル料理のお店 の様相を呈している。
奥の建物も多分美観を損ねないよう昔風なんだと思います。
地下鉄で天津西駅到着。さて最後の目的地、長春へと向かいます。